留学カウンセラー金谷のブログ

普段留学したい人の相談にのっています。自分の留学の実体験や最新の留学事情を記事にしていきます。

アメリカの家事情について語ろうと思う その2(シェアハウス編)

こんにちは、金谷です。

 

昨日お話した通り、渡米後始めての学生寮生活に見事に敗れた後、RくんとAさんとのシェアハウス生活が始まりました。

 

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物件はどうしたのかというと、Rくんが素晴らしいところを見つけてきてくれました。アメリカに来たばかりの2001年7月から9月の夏休みの間、サマーセッション(夏季講習)という形で留学生の我々は、まず英語でのコミニュケーションの仕方や、Essayの書き方の基礎など、これから本格的な授業を受けるにあたり最低限のテクニックを教えてくれる授業を受講していました。その授業を一緒に受けていたのが、韓国人のMさんという女性でした。彼女は、留学ではなく、アメリカに定住しようと投資の一環として郊外の1軒屋を購入し、その2階に自分が住み、1階の2部屋を人に借そうととしていたらしく彼女の「日本人なら綺麗に使ってくれそう」というありがたい偏見のもと、RくんとAさんに熱心に売り込みをかけていたようです。

 

間取りとしては、Mさんの家の1階部分キッチンをはさんで6畳くらいの小さな部屋を私が、15畳くらいの大きな部屋をRくんとAさんが使い、キッチン、トイレ、風呂は3人で共有という形で、広さ的には申し分なく室内もリフォームをしたのか非常に綺麗でした。

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 こんな感じ

 

以下、学生寮と比べて良かった点、悪かった点を挙げていきます。

 

良かった点

 

価格が破格

なんといっても、ここでの生活で一番良かったのはその家賃の安さでした。私の部屋で月$150とちょっと日本では考えられないような値段でした。Depositと呼ばれる敷金はなんと$50!RくんとAさんの部屋もおそらく月$300はいかなかったと思います。

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本当に商売する気があるのかという値段ですが、おそらく、普通に不動産業者を通じて物件を探していたら絶対にこんなところは見つからなかったと思います。1時期サブプライムローンで騒がれましたが、アメリカでは、住宅は非常に有望な投資先で、日本のように築20年たったら建物の資産価値はゼロなんてことはありません。この当時家を安く購入し、キチンとリフォームをすれば多くの場合、投資金額以上の価格で再度転売することができ、その販売益で新たな不動産を購入という錬金術がなりたっていたので、このようなオーナーは実はたくさんいたのかもしれません。今回は、たまたまMさんの方から売り込みをしてもらいましたが、もし安く部屋を借りたいなら自分のクラスメートや知り合いにそういう人がいないかあたってみるのもいいでしょう。

 

 

個人のプライバシーが守られる

学生寮といい意味で1番異なっていたのは、完全なる1人部屋があり、住人も気心のおけない人たちばかりだというところです。学生寮で苦労した勝手に私物を使われるとかはここではありえません。食事は共同で自炊(もっぱらは私は後片付けでしたが)学校へはRくんの車で時間を併せて移動という生活リズムでした。オーナーであるMさんは2階に住んでいるので基本的にはあまり顔を合わせることもなく(当然風呂、トイレも2階にあります)たまに彼女がモントリオールに買出しに行った時に一緒に料理をするという感じでした。私は、非常な汗っかきで食べると汗が大量にでるという理由で、辛いものは苦手だったのですが、韓国人のMさんがいい豚肉とキムチを購入してきた時に一緒に食べたサムキョプサルはNYの極寒の寒さを和らげてくれました。

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悪かった点

 

立地が悪い

不満があるとすれば、立地が市内から外れた学校よりもさらに郊外というところでバスもなく完全に車がないとどうにもならないところでした。いかに家賃が安いとはいえ、ここら辺はもう少し考えるところでしたね。もし、留学先で車ではなくバスなどの公共交通機関に頼る場合は、この立地を重要視する必要があるでしょう。

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生き物が凄い

この家の立地を郊外の外れといいましたが、家の奥が森になっており、ときどき朝5時くらいになるとなんとも奇妙で馬鹿でかい鳥の鳴き声が延々と聞こえてきて、テスト前の寝不足の時には発狂しそうになりました。また、リスやねずみが、家に入ってくることもあり、ある日私の部屋の中にリスが落とした、点々とドングリが落ちていた時は「トトロの家かここは!?」と思ったものです。しかし、本当に恐ろしかったのは、秋の終わりから冬の初めにかけて、

 

てんとう虫

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 の大群が冬越しをしようと、侵入してきたことです。よく画像検索で出てくるみたいな巨大な固まりにはなりませんでしたが(閲覧注意)、部屋のあちこちから湧いて出てきて。大変でした。一回、寝ているときにまぶたが痒かったので手で触ってみると私の目の窪みに沿って2,3匹のてんとう虫が越冬しようとしていた時は、ココはヤバイ!と思いました。なんだかんだで結局、学生寮でも、この家でも虫に悩まされることになりました。

 

イチャつきが凄い(らしい)

あと、これは私が直接体験した話ではないのですが、Mさんには、軍で働いているネイティブの恋人がいたのですが、この2人がいわいるラブラブカップルで、ところかまわずイチャイチャしてRくんAさんは、結構目のやり場にこまっていたそうです。でも、私の前では全くそう言うことはなかったので、今思えば警戒されていたんでしょうね(笑)

 

 

シェアハウス2へ

その後、私自身はそんなに気にしていなかったのですが、Rくん、Aさんにとって、郊外すぎる立地などが気になっていたそうで、市内に引っ越さないかと提案されました。私にとっては家賃が少し高くなりますが、小さいとは言え街の中ですし、学校への移動や簡単な買い物であればひとりでこなすことができるというのは大きな魅力でした。(まあひとりで残っても車がないのでどうしようもなかったのですが)今回は物件の選定、交渉、入居手続きまで全部2人がやってくれましたし、退去時ももともと個人オーナーで知人のMさんだったのでDepositを返却してもらい全く問題なく引越しをすることができました。引越し自体も友達を動員してできたのでスムーズでした。この引越しをちょうど前回話した日本からの友人がNYC滞在後来て手伝ってくれたのですが、

 

 

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日本からNYCまでのフライト、そこから3日の滞在の後、バスで9時間かけて到着、そして次の日に引越しと超強行軍を強いられた彼は、数日間寝込んでました(笑)ここでの生活は快適そのもので、料理の腕を極限まで上げていた2人の絶品料理を満喫しながら(最後の方は中華料理を油通しして作ってました!)

 

 

この地で、悠々過ごすことができたのも束の間、それからわずか半年で、私は短大を卒業し、4年制大学へ編入することになりました。卒業まであと半年残っているRくんとAさんとはここで別れ、ついに海外の全く知らない土地で1人で住む場所を確保しなくてはならなくなったのです。

 

まとめ

そんな訳で、今日はRくん、Aさんとのルームシェアの話を紹介しましたが、いいツテがあって、生活力のある人にはもってこいだと思います。寮と違って、暮らしに必要なものは自分で用意しなくてはいけませんが、その分安いですし、異国で生活できてるという実感があるでしょう。(私の場合はまだ2人におんぶにだっこでしたが)

 

明日は、私が、最後どのようにひとり暮らしを始めることができたのかについてお話したいと思います。

 

アメリカの家事情について語ろうと思う その1 (学校の寮編)

こんにちは、金谷です。

 

私は、根なし草タイプという訳ではないのですが、すでに人生で15回も引越しをしています。なので、物件の選び方、内覧の時のチェックポイント、手続きまでの対応、引っ越した後の引渡し、敷金の返還交渉など1通りの対応は慣れたものです。今ではいろいろな検索サイトやノウハウがネットで検索できますよね。

 

 

しかし、これが海外となったらどうでしょう。留学したいと思っている人も、どうやって物件を探したらいいのか?何かトラブルになった時は?と不安に思う人も多いのではないでしょうか。

 

 

私は、アメリカ留学時代の4年半の間に、学生寮⇒シェアハウス⇒ひとり暮らしと3回の引越しをしました。今日はその中でも、おそらく留学生のほとんどが利用する学校の寮での体験談を紹介します。

 

 

学校の寮のメリット
基本的に留学生の受け入れをしている学校であれば、学校が運営している学生寮がついています。まずは、ここからスタートするのが、1番無難でしょう。価格的にもリーズナブルで食堂が付いているところが多いので、とりあえず寝る、食べるといった最低限のを生活することはできます。さらに、嫌でなければ基本2-4人ほどの相部屋になるので、話し相手には事欠きません。私も、ご多分に漏れず最初はこの寮生活からスタートしました。

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ルームメイトとの確執
私があてがわれたのは2人部屋で、相棒はMatというネイティブの白人だったのですが、彼の共同生活は、習慣の違いがありすぎてうまくいきませんでした。例えば、我々の部屋にはベットと机がそれぞれ1つずつあり真ん中に洗面所、部屋の奥に隣の部屋と共同のトイレ・シャワーがあったのですが、Matは洗面所で簡単に調理をした後いつもそのままほったらかしなので、しばらくするとかなり匂いがしてきます。私がすぐに片付ければ良かったのでしょうが、当時は意地になっていたので部屋はどんどん汚れていきました。さらに、彼は隣の部屋のジャマイカ人のJohnというやつと仲がよくなったのですが、このJohnが我々の私物を勝手に使ってそのままほったらかしということが度々あり非常に困りました。「借りたらキチンと返す」という当たり前のことが守られない現実にカルチャーショックを受けたのですが、そこは「NOと言えない日本人」代表の私は、そもそもMatがJohnを部屋に入れるのは止められないし・・・と泣き寝入りしていました。そんなことが続くと次第にMatともギクシャクするようになり、最後の方はほとんど会話をしないようになっていました。

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そして、退去へ
そんな私の寮生活の終焉を決定づけたのが、ゴキブリの存在でした。私はこの生物が他のどんなものよりも苦手で、今住んでいる家でももしゴキブリが繁殖し、殲滅が不可能であると判断したら、即引越しをする自信があります。

 

テラフォーマーズ 1 (ヤングジャンプコミックス)

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運悪く我々の部屋は、1階で寮の1棟に1つしか付いていない共同キッチンからわずか2部屋目という好立地にありました(笑)さらに、前述のとおりMatが部屋の中の洗面所にも食い散らかした食器を出していたので、彼らにとってはまさに天国だったことでしょう。寮の構成は、入口からまっすぐ廊下が伸びており左右にうなぎの寝床のように部屋があるのですが、ある日その入口を開けた瞬間、廊下の先で巨大なゴキブリが私の部屋に入っていくのを見てしまったのです。驚愕した私は、部屋に駆け込みくつろぐMatに事態の深刻さを身振り手振りで知らせたのですが、なんと

 

「oh, so what?」(ふーん、それで?)

 

と普通に返され、この国での人生最大のカルチャーショックを受けたのでした。(別にアメリカ人全体がゴキブリが苦手ではないという意味ではありません)しかし、私にとって自分の部屋にゴキブリがいるかもしれないという恐怖は、私にとっては、

 

進撃の巨人で言うと、巨人が「ウォールシーナ」に侵入した!
エヴァンゲリオンで言うと、使徒が「セントラルドグマ」に侵入した!

 

進撃の巨人【特典つき】(17)
 
 

 

というまさに人類の存亡をかける事態が発生した位の衝撃で、翌日には、洋服ダンスから服を引っ張り出し、ゴミ袋に収納、固く結ぶそれを並べるという謎行動(私の中で、知らずに服を着たら、ゴキブリがいたというのが最大の恐怖だったため)をとり、Matの

 

 

「こいつ、バカじゃね?」

 

 

という無言の視線を投げかけられたのでした。(こういうのは理解できるから不思議です。)そこからは、私にとってこの寮をいかに早く退去するかが、目標となり、過去記事で紹介したRくん、Aさんから、シェアハウスをしないかと持ちかけられた時は、とてもありがたくその申し出を受けさせてもらいました。

 

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寮を出る日、私はMatに別れの挨拶をしました。最後に握手をするところでなんか途中で手の握りを変えたり、ハイタッチしたりと例のアメリカ式のやつをやってきたのですが、それが全くタイミングが合わずちぐはぐな形になってまさに私たちの共同生活を象徴していたようでお互いに苦笑いを浮かべたのを覚えています。(こういう感覚も言葉が通じなくても分かり合えるんだなあと妙に感心してしまいました。)

 

www.youtube.com

 

まとめ
学校の寮に住むことは、留学生にとって最もポピュラーな形態だと思います。とりあえず、生活できればいい、ネイティブのルームメイトを作りたいなら迷わず選ぶべきでしょう。しかし、多人数のルームシェアの場合、盗難やルームメイトとのいざこざなどトラブルも必ずあります。私は結局Matとは良好な関係を築くことはできませんでしたが、

 

・入居時に、お互いルールを決める
・定期的にコミニュケーションをはかり、改善できるところは改善していく
・貴重品、大事なものはしっかりと管理する

 

など当たり前のことをしていれば、ほとんどの問題は解決できたのではないかと思っています。これから学校の寮に入ろうと思っているみなさんはぜひこのことを念頭においておくといいでしょう。

 

次回は、RくんAさんとのシェアハウス生活について話そうと思います。

 

NYCへ行ったときのことを語ろうと思う

こんにちは、金谷です。

 

今日は、私が世界の経済、文化の中心と言われるNYCに行った時のことをお話したいと思います。

 

たまに私の留学経験を話すときに、「NYに留学していました」というとたいてい「凄いですね」と言われるのですが、それはやはりNY=NYC=マンハッタンの摩天楼みたいなイメージが心頭しているからだと思います。

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こんな感じ

 

しかし、

 

アメリカに行ってわかったのは、この国は実は「巨大な田舎国家」なのだということです。つまり、国土のほとんどが日本では想像できないような田舎で、そこにも大勢の人が住んでおりこの国を構成しています。

 

NYCですら、東京のように、隣の大都市である横浜までずっとビル・建物が繋がっているということはなく、市外を出て15分ほどバスに揺られているととんでもない大平原が広がったりして狐につままれたような気分になります。

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こんな感じ

 

某キー局で放送している「高校生クイズ」で「NYへ行きたいかー?」と呼びかけるのがありますよね。あのNYってみんなマンハッタンを想像して事実にそこに連れて行ってもらえるのですが、2枚目の写真の方がむしろNYなのです。

 

ですから、よくメディアで取り上げられるアメリカの都会の華やかなイメージだけで、アメリカを考えても本当のアメリカは理解できないのではないかと思っています。

 

NYCに行くまで

私が住んでいたPlattsburg市もBinghamton市もおよそ都会からはかけ離れた地方都市でした。治安の良さや物価の低さなど、素晴らしい面もたくさんありますが、やっぱりNYCへ行ってみたいという憧れはありました。ただ、最初に渡米した時には、乗り継ぎで素通りしただけで、それからわずか2ヶ月後に9.11のテロが起きNYCはこれまでの「世界の中心」、「アメリカ文化の中心」という華やかなイメージから一転して、「悲劇の街」となり私にとっては、簡単に観光気分で立ち寄れる場所ではなくなってしまいました。

 

NYCに行ってみて

それから、1年近く経った2002年の7月、友達が訪ねてきてくれることになり、その迎えに初めてNYCに行くことになりました。当時住んでいたPlattsburg市からバスで9時間、視界の奥に大都会の輪郭が浮かび上がってきた時の興奮は今でも忘れられません。その日は奇しくも7月4日、つまりアメリカの独立記念日で、市内からもテロの傷跡から立ち上がり復興へ向け歩みだそうとするエネルギーが感じられました。無事に友達と合流し(とはいえ出国手続きに3時間ほど待たされましたが)ロックフェラーセンターや、メトロポリタンミュージアム、ウォール街など定番の観光コースを回りました。市内を縦横無尽に走る地下鉄もぼったくり価格のホットドックの屋台も楽しかったのですが、立ち並ぶ超高層ビルの連なりやリムジンだけの渋滞などまさに「世界の中心」にいるのだと表現できないほどの感動を覚えました。本当に色々な人が共存して、社会を成り立たせている。わずか3日ほどでしたが、私にはすごく印象に残る滞在でした。

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その後、短大を卒業し、州内のBinghamton市に移った私は、1ヶ月に1回、4時間のバスの旅を経てNYCに日帰りで通うようになりました。その頃からひとり暮らしを始め自炊するようになっていた私にとってNYCは単なる観光地ではなく、必要な日本食材を買出しに出かけたり、日本で話題になっている本を買いに行ったりとあまり帰国することができなかった私にとっては、ふるさとへの窓口のような役割も果たしてくれていました。


最後に
その後、インドのデリー、タイのバンコクベトナムホーチミンカンボジアプノンペンなど世界の名だたる大都市に訪問する機会がありましたが(全部アジアだけですが)、NYCは中でも特別なところだと思っています。私にとって、そこに向かうときのワクワク感や充実感は他の都市とは比べ物にならないかったのです。よくアメリカ人の友達に「アメリカってどんな国?」と聞かれることがあったのですが、私はいつも「世界中のどの人にとっても、自分の国についで2番目に住みやすい国なんじゃないかな」と答えていました。NYCが特別な理由は、この場所がそんなアメリカという国の特徴をまさに体現している場所だからなのではないかと思っています。世界中で通用する言葉、お金。文化がここから生み出され違うバックボーンで育った人同士でも同じ想いを共有することできる。そんな場所へ行き、その息遣いを実際に体験できたことは、私が海外に出て本当に良かったと思えることのひとつです。

せっかくの夏休み、みなさんもぜひそんな体験をしてみてはいかがでしょうか?

 

留学時代に出会った友達について語ろうと思う その2

こんにちは、金谷です。

 

先日お話させていただいた留学時代にあったかけがえのない仲間ですが、もう1組ぜひ紹介したい人たちがいます。

 

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昨日紹介した2人も非常に尊敬できる仲間でしたが、この2人はある意味私の人生を変えたといっても過言ではないですし、今後、生活に関わる話で必ず出てきます。

 

その2人とは

 

九州出身のRくんと関西出身のAさん

 

です。

 

出会いからルームシェアまで

この二人とも最初に留学したClinton Community Collegeで出会いました。関西からやってきた彼らはカップルで、最初は少し会話をするくらいだったのですが、知り合ってから半年でなんと3人で共同生活をすることになったのです。留学生は、寮で生活している時に、これまで両親におんぶにだっこだった私はここでの食生活に行き詰まっていました。学校に行けば、食堂があり朝食・昼食は問題ないのですが、メニューもサブ・サンドイッチ系しかなく寮から学校はバスで30分ほど離れており、夕食もそこでというのは時間的にも栄養的にも満足できるものではありませんでした。そんな中、生活力のあるOくんなどは、そうそうに寮を抜け出し、アパートで自炊という体制を築いていました。車を運転したことのない私は、マウンテンバイクを買って15分かけて寮から、最寄りのファストフードへ行くしかなかったのです。そんな生活に限界を感じた頃、Rくんから「2人で食べても3人で食べても同じだから、一緒にどう」と誘ってもらったのです。非常にありがたかったです。最初のうちは、2人が作る料理を一緒にいただき、後片付けは私が担当するという夕食時のみの分業体制だったのですが、最初の学期が終わったあとRくんから寮を出て3人でルームシェアをしないかと持ちかけてもらい、快諾しました。その後、私が短大を卒業するまでの1年間、2人とは2度の引越しを経て、トラブルもなく過ごすことができました。(ルームシェアや引越しの様子はまた別の機会に詳しく紹介したいと思います。)半年後、2人の短大を卒業しNYCにある4年制大学に編入した後も、日本に帰国する時にアパートに泊めてもらうこともありました。

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出会って学んだこと
2人と一緒に生活するまで、恥ずかしながら私は料理はおろか掃除や洗濯さえも満足にできない子供でした。そういったことを全く親に依存していた私が、この出会いによって1人で生きていけるだけの最低限の力をつけることができるようになりました。4年制大学に編入後、卒業し帰国するまでの3年間1人暮らしをしていたのですが、この2人との生活がなければ絶対にできなかったと思います。さらに、当時の私は全くイザコザを起こすことなく円満に2人との同居を完了することができたのを自分の性格や気遣いのおかげだと過信していたのですが、今になって考えると、あの2人の「寛容」「忍耐」こそが、あの生活を成り立たせていたのがと確信しています。合理的に考えれば、カップルになっている状態で見ず知らずの私が入ることの方がおかしいですし、そもそも2人はきちんと生活する力をもっていましたから。自分の足で生きるために必要な知識を教えてくれた2人には、今でも感謝してもしきれませんし、自分も彼らのような「寛容」「忍耐」を持つことができる人間になりたいと思っています。今、一緒に仕事してくれている佐藤くんと一緒に住んでいるのも、2人にもらった機会を何らかの形で返したかったのだと思います。

blog.hagukigyakuten.com

 

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最後に
昨日もお話させていただきましたけど、異国にいるときには日本では絶対にありえないような出会いがたくさんあります。私の場合は、単に英語が話せるようになる、学校で学ぶこと以上のものをこの出会いによって学ぶことができました。あなたもそんな素敵な出会いを見つけてみてはいかがでしょうか。

 

留学時代に出会った友達について語ろうと思う その1

こんにちは、金谷です。

 

すでに何回かご紹介させていただいている私の留学生活ですが、一番よかったと思えることはやはり、

 

素晴らしい仲間達と出会えた

 

これに尽きるのではないでしょうか。

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二十歳そこそこの若造にとって、言葉も通じない、全く知り合いのいない環境は過酷でした。そんな中でお互いに切磋琢磨し高め合うことのできる仲間に出会えることは、その後の人生においてもかけがえのないものです。しかし、一方で残念ながらそういう高め合いのできない残念な出会いがあることも事実です。

 

一般的に、留学中に同じ日本人同士とばかりで行動し、結局英語が上達しないというのはよく聞く話ですが、逆に同じ日本人同士だからこそ、競い合うところは競い合い、助け合うところは助け合うそんな関係もあることを教えてもらいました。

 

今日は、私が出会えてよかったと心の底から思える人との出会いを紹介したいと思います。

 

関西出身のYくん

1年年下の彼とは、最初に留学したClinton Community Collegeで出会いました。彼はいわいる元不良で、それまで全く勉強をしてこなかったそうですが、一念発起して海外でも通じるビジネスマンになるために留学を決意したそうです。最初のうちは、強面の外見と、年上の彼女と一緒に渡米していたことに、勝手に引け目を感じていました(笑)。しかし、全く勉強をしてこなかったブランクを埋めるように貪欲に勉強を始め一部教科(数学や化学)などは私が教えることもあったのですが、英語についてはあっという間に私より上達していきました。そんな中で、年下であるにも関わらず尊敬できる好敵手として、同じビジネス、経済を志す仲間として時にはお互いの夢を一晩中語り合う間柄になっていきました。最後、私が半年早く短大を卒業し、新たな場所でひとりでの生活を始める前日、「今度会うときは、ビジネスのライバルとして逢おう」といって別れたきりです。その後、他の仲間とは連絡を取り合う機会がありましたが、私は自分が自分の足でキッチリ稼ぐことができると思っていないうちは連絡をとるつもりはありません。おそらく彼もそうでしょう。私もまだまだビジネスマンの端くれですが、いつか彼と対等なビジネスをする間柄として再会できるのを楽しみにしています。

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関西出身のOくん

彼とも最初に留学したClinton Community Collegeで出会いました。一言で言うと彼は超イケメンでスポーツ万能、特に高校時代から続けていたバスケは本場アメリカ人も一目置くほどで友達も多く、とにかくモテていました。しかし、その性格は侠気に溢れ、家事も華麗にこなすなど、車も、学校の寮を出ての生活も我々の同期の中では一番最初にデビューする活動家でした。私はというと、全くモテることなく、インドア派で正反対の性格が功を奏したのか、彼とも不思議と馬があい結構いろいろな所に遊びに行ったりもしました。卒業後も、彼が仲間を連れてインド旅行に行った際、わざわざ成田経由で帰国し私の家に遊びに来てくれたこともありました。私が、日本で就職するきっかけになった就活フォーラムも彼からの紹介で、まさに私の社会人生活は彼のアドバイスによって始まったといっても過言ではありません。最終的に彼は、ハワイの大学に編入し、そこでファイヤーダンスのアルバイトをしながら人脈を広げ、今も現地の観光業界で活躍しているようです。

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いかがでしょうか。個人的な話になりましたが、何が言いたかったのかというと、普段日本にいる時と違い、異国にいるときには不思議と「自分と全く違うタイプの人たち」と仲良くなることができるチャンスが増えるということです。私も留学前も帰国後もYくん、Oくんのようなタイプの人とは仲良くなることはありませんでした。たぶん、2人もそうでしょう。しかし、異なるタイプの人たちと切磋琢磨すると、必然的にいろいろな体験ができますし、そういう機会を作る上でも、留学って素晴らしい経験だったなと思っています。明日も、もう2人私の留学生活を語る上で欠かせない人たちについて話したいと思います。

 

留学時代に通った大学について語ろうと思う

こんにちは、金谷です。

 

先日から始まったこのブログですが、私は両親をはじめとする色々な人の協力があって留学という非常に貴重な体験をすることができました。

 

どうやって行きたい学校を選んだらいいのか、悩んでいる人も多いのではないでしょうか。

 

そんなあなたに向けて、今日は、私が通った学校とその経緯、紹介したいと思います。

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【短大時代】

まずは、2001年7月~2002年12月まで通ったClinton Community Collegeです。

 

www.clinton.edu

ニューヨーク州とカナダの国境沿いの街であるPlattsburgh市外にある小さな2年制の小さな短大で、もともとホテルだった建物を改造して学校にしたそうです。Champlain湖というアメリカではchampというUMAがでることで有名な湖を一望することができ、本当に風光明媚なところでした。それもそのはずNYCからバスで9時間、街の人口は2万人弱ととんでもない田舎で、冬には-20℃以下になることもしばしばでした。なぜ、こんな辺鄙なところを最初の場所に選んだのかというと、

 

他に日本人が居そうになかったからです。

 

しかし、これは全く私のリサーチ不足でした。私は、最後留学先を決めるときに誰にも相談せず適当に名前の響きとロケーションで選んだのですが、当日空港で待ち合わせをしてみたらなんと東京から3名(自分を含む)、大阪からは9名の計12名と同期だけでもなかなかの人数でした。

 

しかし、その中から本当に信頼できてお互いを高めることのできる仲間が何人もできたので、人生わからないものです。

 

ここは、とにかく勉強をするには最適な環境でした。とにかく田舎なので家賃が安い!郊外に1室を借りたときはなんと$150/月でした。そして、景色がいい!(そこがアピールポイントなので何回も言います)さらには、NYCからは遠いのですが、カナダの国境まではわずか30kmでカナダ第2位の都市であるモントリオールまで、1時間弱で行けてしまうのです。ここなら日本の食材も調達できますし、休日等に遊びに行くこともできるのです。車を持っていなかった私ですが、ここでは友人・知人も多く全く不便は感じませんでした。全くの当てずっぽうで選んだ学校でしたが、アメリカでの学生生活としては最高のスタートが切れたと思っています。

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【四大時代】

その後、Clinton Community Collegeを1年半で卒業した私は、同じニューヨーク州立大学のBinghamton校というところに編入し卒業までの2003年1月~2005年12月の3年在籍しておりました。

Binghamton University - State University of New York (SUNY)


こちらはその名の通り、ニューヨーク州内Binghamton市郊外にある学校で、NYCからは北西およそ200km弱、バスで4時間のところにあります。ここから初めてのひとり暮らしを経験するのですが、Plattsburg市よりは、人口が多いとはいえBinghamton市も人口は4万人弱とまさに地方都市といった感じでした。(ここはまた別の機会にお話します。)娯楽施設もあまりなく、学期末になると、これから休みに入る学生たちが、町の中心のpubのあるメイン通り100mくらいに固まり、少し騒ぐだけという純朴な感じでした。大学もWikipediaによると“そのキャンパスは3.6km²で皇居の3倍以上になる。”とあるように非常に広大で、確かに校内で鹿の親子連れを何回も見た気がします。なぜ編入先にこの大学を選んだのかというと、

 

・Clinton Community Collegeと同じニューヨーク州立大学機構なので、取得した単位が比較的認められやすい。

 

・州立大学という比較的学費が安い学校の中では評価が高い。

 

の他に、もう一つ大きな理由がありました。
それは、一人の教授が在籍されているのを知ったからでした。

その方は、イマニュエル・ウォーラーステイン教授というアメリカの社会学者で、高校生の時に世界史が大好きだった私が先生に勧められて感銘を受けた
「近代世界システム」

という書籍の作者でした。本のあとがきに執筆当時、この大学で勤務されているというのが最後私の大学選びの決めてになりました。結局、教授は直前に同校内にある研究センターへ異動され直接授業を受けることはできませんでしたが、どの授業のレベルも高く、皆非常に勉強熱心でしたので、卒業までの3年間(Clinton Community College卒業時の単位が半分しか認められず1年余分にかかってしまいました。)非常に有意義な学生生活を送ることができました。途中で半引きこもり(学校には毎日通っていました)みたいになったこともありましたが、今ではいい思い出です。(こちらも後で詳しく話したいと思います。)

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【最後に】

という訳で、今日は私が留学先に選んだ学校を紹介しました。どちらの学校でも素晴らしい環境で学生生活を送ることができたと思っています。私の場合はほとんど行き当たりばったりで学校を選んでも運良く素晴らしい学校にあたることができましたが、万が一自分の希望と全然違うところだったら…大変なことになりますよね。しかし、自分で調べるのにも限界はあります。そういう時は、経験者から生の話を聞くのが一番です。いい意味でどんどん利用してください。


留学先でネイティブに負けない5つの勉強法

こんにちは、金谷です。

 

よく日本の大学受験を揶揄して、

 

「日本の高校生は大学に入るまではかなり勉強するが、大学に入ると全く勉強しなくなる。欧米の学生は反対で大学生になってからキチンと勉強しないと卒業できない。」

 

という意見を聞きます。私は、日本の高校生とアメリカの大学生しか経験していないので、確定的なことはいえませんが、確かにどちらの時期もかなり勉強したと思います。

 

これから留学をしようとしている人たちにとって、

 

大学で勉強をいっぱいする必要がある=英語が苦手だと凄く不利

 

だと思う人もたくさんいるのではないでしょうか。

 

しかし、一概にそうとも言えません。こういった不平等を矮小化する施策がすでに用意されていたり、事前に準備をすることで、ネイティブの学生たちよりも良い成績を残すことは十分可能なのです。

 

今日は私がやっていたネイティブに負けない成績(GPA)を稼ぐ5つのテクニックについて話してみようと思います。すでに卒業してから10年以上経っていますが、意外とまだ使えると思います。

 

 

日本の高校卒業時のカリキュラムの方が進んでいる
これは、実際に留学したことがある人はすぐに納得してもらえると思いますが、日本の高校ですでにやったことをアメリカでは大学でやることが結構あります。つまり、某進○ゼミのように、「あれこれゼミでやったやつだ!!」が、国境を越えてできるわけです。特に理系の数学や化学なんかは顕著です。数学の一番簡単なコースは因数分解からはじめるので、「まだ留学したばかりで、慣れるまでは手っ取り早くいい成績をとりたい」という場合はこれらの教科を学期内で固めるのも手です。

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留学生用の救済措置がある
これは、私も短大時代の時だけの制度でしたので、全ての学校で適用されている訳ではないのでしょうが、テストの時、ダブルタイム(ネイティブの試験時間の倍)と辞書使用可能という制度がありました。これで、基本的に物理的なハンディはほぼなくなりますよね。というか、こっちの方が有利のような気もします。でも、やはりこれで成績をとっても語学能力を含めた能力は測れないのであくまでも最初だけとか、自分ルールを作るほうがいいと思います。それでいい成績をとっても、ネイティブの同級生は絶対にいい顔しません。

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日本語の教科書、参考書を用意しておく
とは言っても、専門的な分野に入ると、早晩高校までの貯金ではやっていけなくなります。そういう時は、あらかじめその教科の日本語の専門書を用意しておき、まずは頭で理解してから英語に直していけば、あとはそれを置き換えていけばいいだけです。今はネットでもありとあらゆる情報がありますから、かなりやりやすくなっているのではないでしょうか。ちなみに、私はEssayの授業でカフカの「変身」に対する考察を提出しなくてはならなくなった時に、英語版を読んでもちんぷんかんぷんだったので、友達に泣きついて国際電話で2時間かけて1冊まるごと朗読してもらいました。(笑)

 

 

 

Essayの書き方をマスターする
ご存知の方も多いかと思いますが、日本の論文と英語のEssayではその書き方が全くことなります。基本的に、各専門分野の授業になってくると、このEssayは必ず求められます。これはかなり厳密な書式が要求されるため折を見てまとめますが、この書式をキチンと理解していないと、いくらいい内容を提案しても全く評価されません

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あとは地道な努力のみ
結局、それが日本語であろうが、英語であろうが、いい成績を出すためにはその本質を理解しなくてはなりません。それには一定以上の時間をかけることも必要になってきます。幸いアメリカの大学は勉強したい学生にとっては非常にフレンドリーです(笑)私が編入したBinghamton Universityも市内で唯一大学の図書館だけは24時間営業でした。

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見直してみると、結局根性論のような気もしますが、そんな時は留学生の意義を考えてみるのもいいでしょう。

 

結局、自国の生徒でない留学生は、受け入れ先の国にとって絶対に必要な存在ではありません。ではどうやってその存在意義を見出すのか?その一つが成績だと思って、私はモチベーションを維持していました。アメリカの大学では就職時にもこの成績(GPA)が非常に重要視されますし、やって損はありません。自分の経験としても、居並ぶネイティブの中で成績1位になる快感はやはりいいものですよ。