留学カウンセラー金谷のブログ

普段留学したい人の相談にのっています。自分の留学の実体験や最新の留学事情を記事にしていきます。

アメリカに留学をして『日本人』になった話をしようと思う

こんにちは、金谷です。

 

突然ですが、みなさんどんなときに日本人を意識しますか?サッカーや野球の国際試合のときに無意識に日本を応援してしまいますよね。でも、普通に日本で生活していると、満員電車が大変とか、景気が悪いとか、家が狭いとか、日本で生活するうえでネガティブなところばかり目についてしまいます。反対に、ちょっと海外に出てみると、凄く治安がよかったり、食事の値段も途上国とそんなに変わりがないのに凄く衛生的で美味しかったり、接客などのサービスが本当に行き届いていたりと日本に住むことの素晴らしさがよくわかります。

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そういう意味では海外で生活することは、行った国のことを知るというよりは、今まで自分が住んでいた国の素晴らしさを知ることでもあるんですね。

 

日本人を意識した経緯

私が、アメリカに留学していた4年半、そんな体験をたくさんしました。そこで感じたのは、多くの場合『日本人』であることは、相当なメリットであるということです。現地の友人に家に招待されたり、遊びに連れていてくれたり、食事をご馳走してくれたりいろいろな人にお世話になりましたが、彼らは決まって「日本人はいい人だから」と言ってくれました。最初のうちは、「ツイてるなあ」位にしか思っていなかったのですが、だんだん彼らの言っている『日本人』は私のことではなくて、これまで彼らがあってきたもしくは、いろいろなメディアを通して理解した日本人像なんだと気づきました。その瞬間、私は知らず知らずのうちに自分が凄い重責をおっていることを理解したのです。つまり、私がいくら個人の自由として、振舞ったとしても海外では、『日本人』である私がそう行動したとしか受け取ってもらえないのです。例えば、私が何かひどい行いをしたとすると、日本では、『私』がひどいやつということになりますが、これが海外であれば、『日本人』がひどいやつという風に見られてしまうのです。これについては、賛否両論あるかと思いますが、我々も、特定の国の人が犯罪を犯しているのをみると、「やっぱり」と思ってしまうのは事実だと思います。そうなると、今まで私に親切にしてくれた人達は、彼らの中で素晴らしい日本人像があるので、その恩恵を受けた私は少なくともイメージを悪くするような振る舞いだけはしてはいけないと意識するようになりました。なぜなら、私が変なことをすることによって、今まで日本人に親切にしてくれていた人たちが、私の後にアメリカに来る日本人に対して、親切にしてくれなくなってしまうのだけは避けたかったからです。それからは、些細なことでも時間を守る、約束を守るように心がけるようになり、すこしいい人になった(笑)のと同時に自分が『日本人』なんだと強く意識するようになりました。

 

まとめ

異なる国や文化に触れることは、新しい価値観や考えを知ることでもありますが、それと同時にそれまで気づかなかった自分のバックグランドに気づくことでもあります。あなたが将来違う国籍に帰化したとしても、あなたが『日本人』であったという事実は消せませんし、それは素晴らしいことなのです。私としては、なるべく多くの人にこういう体験をして欲しいと思ってこのブログを続けています。

留学中に味わった人生で一番長かった日の話をしようと思う

こんにちは、金谷です。

 

今日は、私が体験したアメリカでの怖い話をしたいと思います。

 

とはいっても、幽霊とか心霊とかの怖い話ではありません。

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アメリカで怖い話といったら、マフィア、そのマフィアが取り扱っているのが

 

ドラッグ

 

です。

 

私の住んでいたNY州の田舎がいくらアメリカ国内では治安がいい地域とはいっても、そこは日本とは違います。普通に道を歩いていても、末端の販売員から声をかけられるなんてこともよくありました。もちろん断りますが、ドラッグが生活に身近であることには変わりありません。

 

これは、そんな私が実際に体験した違法薬物にまつわるなんとも奇妙な長い一日の話です。

 

何度かブログで書いていますが、短大を卒業して4年制大学に編入した私は、そこで引きこもりに近い生活をしていました。

 

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大家からの誘い 

そんな状況を知ってか知らずか、ある日アパートの大家さんが、自宅に遊びに来ないかと誘ってくれたのです。この大家さんは、家を借りる時や引越しをした時にもいろいろ助けてくれた人だったので、私はその招きに応じることにしました。 BBQの準備に忙しいので、バスで直接来てくれと大まかな住所を教えてもらったのですが、住んでいたアパートからはかなり距離があるようでした。1時間程でなんとか、最寄りのバス停まではたどり着いたのですが、その辺りはあまり治安のいいところではなかったらしく、またアジア人もあまりいない街だったので、バスを降りた瞬間に明らかにチンピラ風の若者たちに囲まれました。全く空気を読まなかった私は大家の家を教えてくれと彼らにフレンドリーに聞くことでなんとかピンチを切り抜けようとしたのですが、その中のひとりが「金を出せ!」みたいなことを言い出し、かなり険悪は雰囲気になっていました。すると突然、急に全く知らないアジア系の人が車から「迷っているなら案内してやる」と声をかけてきてくれたのです。今考えれば、それも危ない話ですが、すでに半分カツアゲされそうになっていた私は脱兎のごとくその車に乗り込み、とりあえずのピンチを乗り切りました。話を聞くとその人は、ベトナムからの移民で、ベトナム戦争中にアメリカ側についていた南ベトナム人を難民として受け入れていた時期があり、多くの人がこの街に住み着いたそうです。結局その人は親日だったということもあり、チキンと大家さんの家まで送ってくれたのですが、むしろ早く到着しすぎてしまったようで、少し待っていてくれという話になりました。すると大家さんは、「最近日本料理にはまっているんだ。お前も懐かしいだろ」と、何もつけないそのままの豆腐を満面の笑みですすめてきたのです。今ほど和食が一般化していなかった10年前、味噌をといただけの味噌汁とか、天ぷらという名のフライなんてのは珍しくありませんでしたが、何もつけないで食べるアメリカの豆腐の味はかなり衝撃的でした。1/3丁ほど食べたところで流石に限界がきたのですが、もちろん醤油なんて気の利いたものはありません。仕方がないので塩をもらって食べたのですが、大家の「本場ではそうやって食べるのね」的なリアクションに胸が痛かったです。

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いよいよBBQ、しかし

そうこうしているうちに夕方になり、BBQを大家が所有している近所の山でやろうということになり、「凄く楽しいBBQになるよ」という大家の意味深な言葉とともに会場まで移動しました。しかし、現地に着いてみるとその山は、付近のモトバイク愛好家の練習場になっており、唸りを上げたバイクが山頂目指して、猛スピードで疾走しているというカオス状態でした。すかさず大家さんがそのバイカー達を、木の棒を振り回しながら鬼の形相で追い掛け回し、とにかく収集のつかない状態になりましたが、30分ほどでなんとか全員逃げ出したようでした。死人がでなくてホッとしていると、大家の友人たちがどんどん集まってきていよいよBBQが始まったのです。初めのうちこそ、みな和やかに自己紹介をしながら肉を焼いていたのですが、だんだん盛り上がってくると、大家さんおもむろに、「じゃあ、マリファナをやろう!!」と言いだしたのです。すると私を除くみんなのテンションは最高潮、先ほどの意味深な発言はこれのことだったのかと今更ながらに気づいたのですが時すでに遅し。さきほどの木の棒を振り回しながら、鬼の形相をしていた大家さんにビビリながらも、タバコも吸ったこともない私は「日本ではマリファナは禁止されているから」と断ると(NY州でも喫煙は今も禁止されています。)すでに、ハイになっていたのか、「以前に韓国の人にも勧めたけど、徴兵の時に検査で引っかかるらしいね。日本もそうなんでしょ?」とありがたい勘違いで、その場を切り抜けることができました。結局私以外の全員がひとしきりマリファナを吸って楽しんだ後、帰宅することになったのですが、車を持っていない私は、夜中にまたあのバス停でカツアゲされるか、マリファナを吸ってハイになっている人の車に乗せてもらうかの究極の選択を迫られ車で帰宅しました。家に着くとすでに午前2時を回っており、いろいろなことがありすぎて、すぐに泥のように寝てしまったのは言うまでもありません。

 

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最後に

その後、大家さんからはこの会に誘われることはありませんでしたが、身近な人がこんな違法なことを堂々としていると、カルチャーショックを受けたのです。私の場合はたまたま、その仲間に引き込まれることはありませんでしたが、全く知らないところではこういうことも有り得ます。知らない所にはひとりで行かない、悪い誘いを受けたときにはきっぱりと断るという心構えが必要ですね。

夏の終わりに学生時代にはまったゲームを紹介しようと思う

こんにちは、金谷です。

 

まだまだ暑い日が続きますが、朝夕は大分涼しくなってきましたね。学生のみなさんもそろそろ夏休みの宿題が気になる時期ですよね。

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私が学生の時はどうだったかというと...

 

もちろん毎年8/31に涙目になりながら必死になってやっていました。

 

しかし、今も昔もインドア派だったので、海にも山にもプールにも祭りにも行ってません。

 

ではどうしていたのかというと

コーエー定番シリーズ 三國志?

コーエー定番シリーズ 三國志?

 

三国志II

 

これにはまりまくっていました。


知る人ぞ知る歴史シミレーションゲームの老舗 光栄の誇る名作です。


PC88で三国志2をだらだらっと実況してみたpart2 - YouTube

 

PC版が発売されたのが1989年、私がやっていたSFC版が発売されたのが1991年ともう20年以上前の古い時代の作品だけあって、名作であり迷作でした。例えば、

 

王朗が始めて1ターンで捕まって滅んだり、
呂布が戦場で毎日敵味方の間で寝返りを繰り返したり、
太史慈の顔がなぜか吠えていたり、
馬謖が弱いくせに勝手に一騎打ちに出て案の定負けたり、
疫病発生のシーンの人の苦しみ方がトラウマものだったり、

 

挙げていけばキリがありません。

 

でも、音楽は本当に最高ですし、


三国志2 ピアノ演奏 - YouTube

 

一騎打ちや、寝返り工作、人材引き抜きなど歴史好きには堪らないコマンドが新たに作られ本当に寝る間を惜しんでやっていました。特に友達との多人数プレイをすると、

 

ある国の有能な武将を引き抜く⇒褒美をあげて忠誠度を上げる間もなく、友達に引き抜かれる⇒次のターンで、引き抜き返す⇒エンドレス


他国を攻める⇒勝利⇒態勢が整う前に友達に攻め込まれる⇒攻め返す⇒攻め返される⇒エンドレス

 

本当にいつまでたっても終わらないけど楽しかったですね。特に夏休みには、2・3日徹夜でプレイし続け、寝ている間も夢で画面がでていました。(笑)

 

あまりにもハマりすぎて、留学時代にも休日にはひとりで延々とプレイしていました。

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いろいろな意味で、人生の糧になった超名作ゲーム、久々にやってみようかな。

 

と思ってAmazonで見てみたら、昔持っていたガイドブックが、

三国志2ハイパーガイドブック (ハイパー攻略シリーズ)

三国志2ハイパーガイドブック (ハイパー攻略シリーズ)

 

 

85,000円!!!

(2015/08/22現在)

 

どんだけプレミアついてるんだ(笑)

 

留学に準備なんていらないと確信する3つの理由

こんにちは、金谷です。

 

これから留学を考えているみなさん、そのうちの99%の方は不安でいっぱいなのではないでしょうか。かくいう私もそうでした。まず、言葉が通じなかったら生活ができない、授業についていけないかもしれない、どうやって留学先を見つけたらいいの?悩みは尽きませんよね。

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そんな不安な人たちのために、提携校システムがあります。これは、半年~1年程度最低限の会話や大学で勉強するためのスキルを日本国内で習得し、提携先の学校に優先的に留学でき、さらにそこでの単位の一部も事前に取得できてしまうというものなんです。

 

凄いですよね。これなら安心ですよね。かくいう私もこの提携校に入ってから留学をしました。

 

 

しかし、

 

 

こんなことに悩むなら、

実はさっさと留学してしまった方が、お金も時間も節約できるって知っていましたでしょうか?

今日はその理由を話したいと思います。

 

コストが高い

この提携校のサービスはなかなか魅力的ですが、それに併せてお値段も相当するんです。大体相場は年間100万以上だと思ってください。これから、2年ないし4年間(単位が取れなければそれ以上)現地の学校で学費がかかるのに、その前にこの出費はすごい負担ですよね。基本的に、学校は生徒に来てもらいたいんです。例え、英語が話せなくても、教育のノウハウもリソースも充実しています。悩む前にまず留学してしまった方がこの余分な費用で車も買えますよ。

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 もし、さらに現地での学費を浮かせたいなら、4年制大学よりも、短大を選びましょう。短大は基本的に学費が非常に低額(半分程度)ですが、日本と違って編入制度がキッチリしているので、そこでいい成績をキープできれば、卒業後もっとレベルの高い4年制大学に編入可能です。そして、そこを卒業すれば、学費を抑えて大卒の資格を取ることができるのです。

 

 

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※ただし、これも事前にどの単位が編入先でも認められるのかキチンと確認することが必要です。私の場合、短大で取得した半分の単位の移行が認められず結局1年を余分に過ごすことになってしまいました。

 

例えば、私が最初に入学したClinton Community Collegeでは、年間の学費はnon NYS residentで$9,200です。

www.clinton.edu


提携校とほとんど変わらないか安いくらいです。これで、年間最低24単位を取得することができます。最初から4年制大学のBinghamton Universityに行くと、年間の学費はnon NYS residentで$19,590と倍以上かかってしまうのです。

Binghamton University - Attendance Costs and Funding Your Education

 


これが、有名私立大学となればさらに倍ですから、大きな差になりますね。

 

時間がかかる

冒頭に提携校では、予め留学先の単位の一部が取得できるといいましたが、結局認められる単位は僅かなのです。おそらく、英語の障壁が最初からない人を除いたら、どんなに頑張っても国内で10単位以上を取得することは難しいでしょう。(そういう人はそもそもそのまま留学すべきです。)しかも、どちらにしても外国人留学生は最初ESLという留学生向けの語学対策の授業を受けなければなりません。このESLの内容は提携校で行うものとほとんど変わりません。通常現地の学校で普通に授業を受ければ30単位は取得できますから、1年間を使って10単位をとることは凄い時間の無駄なのです。

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手続きのハードルが低くなっている

もう一つ提携校の大きなメリットは、ビザの申請、i20の手続き、大学入学などの事務的な手間を代行してくれることです。これは、未経験者にとってはかなり高いハードルですが、今の時代であればネットで検索すれば、大体のやり方はでています。

www.ryugakusite.com


もう一度いいますが、基本的に、学校は生徒に来てもらいたいんです!分からなければつたない英語でも、キチンと対応してくれます。

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まとめ

100万円という金額と1年という時間とそれらの手間を天秤にかけてみましょう。実際に、お兄さんがこの提携校から留学していたという女の子は高校卒業と同時にそのまま留学し、私と同じESLの講座を受けていました。それが答えではないでしょうか。その時点で、私は浪人+提携校で21歳、彼女はまだ18歳この3年の差はめちゃめちゃ大きいです。(まあ浪人しなければ2年ですが。。。)

 

ただし、工夫は必要です。

 

この方法で、学校の授業についていけそうにないという心配はなさそうだけど、その前提の生活が不安だというあなた、今やすっかり定着したSNSを駆使しましょう。留学生が減っていると叫ばれている昨今ですが、ちゃんと調べれば意外とどこにでも日本人はいるものです。ツイッターやFBなどで行きたい学校や地域を検索すれば、現地に今住んでいる人を探せてコンタクトもとれます。そういう人から事前に情報を得ておけば、家賃の相場観や、スーパーの位置、公共交通機関の有無など、とりあえず生活はなんとかなりますよね。

 

最後に、とりあえず留学行くことは決意しているけど、不安がある人に一言

 

『案ずるより産むが易し』

 

キチンと最低限の対策さえしておけば、とりあえずなんとかなります。そして、私もそうでしたが、その手間を一時的にお金で解決したとしても、その後の人生、いつか自分で同じような手間をかけなくてはならなくなる時がきます。さらに、結局この提携校に通って途中で留学を断念した人もいます。同じ断念するなら、現地の学校に行って断念する方が自分の経験としても多くのものが残るのではないでしょうか。

 

留学時代の引きこもり期について語ろうと思う

こんにちは、金谷です。

 

今まで私の留学生活についていろいろ語ってきましたが、留学は当然バラ色なことばかりではありません。言葉も文化も違う国では、むしろトラブルがあるのが当たり前です。私がいたNY州は白人の割合が多く、歴史もあるところでしたので、アジア人に対する偏見ももちろんありました。自炊をしていたといっても、忙しい時はファストフードで済ますことも多く、日本食が恋しくなったときもありました。

 

引きこもり期について

その中でも、私が一番大変だった体験は、半年近く引きこもりになったことでした。(学校には毎日行っていましたが)

Binghamton Universityに編入してから自分の住む場所を確保した私は完全に一人で全てをできる環境を手に入れました。

 

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普通は、そこからどんどん友達を作って交友関係を広げていく、となるんでしょうが、私の場合そうはなりませんでした。自分のペースで学校へ行き、食事をし、家事をして寝る。そんな毎日を過ごしているうちにいつの間にか他人がいなくても全く問題ない状況にどんどん慣れていってしまったのです。そうして気がつくと、1学期(約4ヶ月)のうち、日本にいる家族や友人への国際電話を除けば、喋ったのが2回だけという時期もありました。ただ、今でも不思議なのがその当時の自分はそれが変なこととか、辛いこととかは全く思わずに、酒に溺れるわけでも、ドラッグに走るわけでもなく(完全に違法です!!)本当に淡々と日々を過ごしていたのです。(その学期の成績も凄くよかったです。)結局、その次の学期でようやく友人ができたので、この状態が続くことはありませんでしたが、その頃の生活をもう一度しろと言われれば絶対にできません。

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引きこもった理由

今になって、その時の心理状況を分析してみると、自分の中で短大時代にあまりにも多くの人たちに頼って生きてきた反動で、なるべくなんでも自分ひとりでやろうと思い過ぎていたのだと思います。

 

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やはり、自分からいろいろなところに積極的に出ていかないと交友関係はひろがりません。そういう意味でも学生寮やシェアハウスに住むというのはいい体験だと思います。さらに当時は、まだskypeやlineなどはありませんでしたが、国際電話の格安のものが出てきたり、ネットで日本にいなくてもリアルタイムに情報を得ることができる時代になっていました。日本の書籍や食材もNYCに行けば調達できるので、月一で買い出しに行っていましたし、

 

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日本にいる時と同じような環境を求めれば得ることができてしまったのも、大きな要因だったと思います。せっかく、アメリカに居たのにそこで日本的な生活に逃げてしまったというのは、大きく反省するところでした。

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同じことで悩んでいる人へ

異国で暮らしていく中で、1時期自分の殻に閉じこもってしまうことは誰にでもあることだと思います。今もそんな状態になっている人もいるかもしれません。私から伝えたいのは、一度自分の状況をゆっくりと振り返って、自分が何のためにそこにいるのかについて考えて一歩を踏み出してみてみましょう。どうしても難しい場合は、休みなどを利用して日本に戻るのもひとつの方法ですよ。

 

留学生から見たアメリカの長期休暇について語ろうと思う 

こんにちは、金谷です。

 

お盆中、みなさんはいかがお過ごしでしたでしょうか?久しぶりに実家に帰ったり、海外旅行に出かけたり、満喫された方も多かったのではないでしょうか。お盆は日本人にとっては、先祖の霊を慰めるとても大切な期間ですが、国が違えば当然そういった休暇の時期も意味も変わってきます。例えば、中国や東南アジア圏の旧正月なんかはいい例ではないでしょうか。

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 アメリカにも、そういった長期休暇がいくつかあります。私は、あくまで留学生としてしかこの休暇期間を過ごすことはありませんでしたが、その目線で体験した長期休暇について話したいと思います。(かなり主観が入っているかもしれませんが、1体験談として聞いてもらえると嬉しいです。)

 

元旦
この日は世界共通の休日だと思いますが、日本のお正月のようなスペシャル感はなかったように思います。おせち料理にあたるものもないですし、初詣に行ったりということもありません。NYCのような大都市を除けば0時ちょうどのカウントダウンの時に申し訳程度に花火が上がる程度であまり盛り上がらなかった印象があります。極端に言えば、アメリカではその直前のクリスマスが圧倒的に重要で、元旦はそのおまけみたいな感じでしょうか。学生にとっては、新学期が始まる前の冬休みの真っ只中なのですが、1ヶ月程度なのでわざわざ高い飛行機代を使って日本に帰るのもなあという理性と、でも日本でおせちも食べたいしなあという誘惑が闘う期間でもありました。

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イースター
日本人にとっては、あまり馴染みのないイースターですが、キリスト教国であるアメリカではクリスマスに次ぐ一大イベントなのだそうです。

復活祭 - Wikipedia

ただ留学生の私にとっては、ちょうど学期のなか休みということで、部屋に閉じこもって溜まった課題を終わらせたり、じっくり鋭気を養って後半に備えるという以外の過ごし方はしませんでした。

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夏休み
アメリカの多くの大学では、5月の半ばから9月の頭までの約3ヶ月が夏休みとなっています。このボリュームでまとまって休暇が取れるのは、後にも先にも人生でこの時期だけでしょう(笑)日本に帰って、お金を稼ぐもよし、海外旅行へ行くもよし、残って夏季講座をとって単位を稼ぐもよし、なんでもできます。私は、この時期にインドに行ったり、バイトに明け暮れ100万を稼いだりと忙しくも充実した時間を過ごしていました。(ここら辺もまた詳しくお話させていただきます。)

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感謝祭
11月の第4週にあるこの休暇が、私が体験した中では一番アメリカ人と交流することができたように思います。一般的にも、家族だけでなく友達も自宅に招き、七面鳥などの料理を一緒に食べるという風土があるようで、あまり友達がいなかった私でも、家に招いてもらうことができました。ただ、そこはアメリカ、友人の実家で、別れた両親が久々に揃う中、それぞれが現在の恋人とイチャついていたりと、とても日本では考えられないような修羅場に遭遇したこともありました。この休暇を通してアメリカ人のオープンでウエルカムな度量の広さというものを経験することもできたと思います。しかし、留学生としては、この時期というのは学期末の直前ということもあり、ここでだらけてしまうとそのまま集中力を切らしてしまい成績に直結するというかなり悩ましい休みでもありました。

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クリスマス
アメリカ人にとっては、このクリスマス休暇が日本で言うお盆とお正月が一緒になったくらい重要な休みで、この時ばかりは家族水入らずで過ごすという暗黙のルールみたいなものがあり、友達の家に誘われるということも連れて行ってと頼むこともありませんでした。そればかりか、この時期はいつもやっているスーパーやファストフード店なども休みになってしまうので、私にとっては前もって食材を購入しておかないと大変なことになるというあまりありがたくない休暇でした。

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いかがでしょうか。こうして見てみるとアメリカではいかにキリスト教文化が密接に根付いているのかを思い知らされます。しかし、その根底にあるのは家族やその他の人々との繋がりをいかに大事にするかという人類共通の価値観があります。そうした違うアプローチだけれど、行き着くところは同じということを経験をすることに異文化で学ぶおもしろさがあるのではないでしょうか。

 

アメリカの家事情について語ろうと思う その3(ひとり暮らし編)

こんにちは、金谷です。


3回に渡ってお届けした私のアメリカでの住居事情ですが、紆余曲折を経てついにひとり暮らしをすることになったお話を紹介したいと思います。

 

 

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短大を無事卒業し、ニューヨーク州立大学のBinghamton校という4年制大学へ編入できることになった私は、早速家を探すことになりました。とは言ってもBinghamton市がどこにあるのか、どんな街なのかも分からず、当然現地に知り合いも居ません。普通であれば、学校の寮に入るのが一番無難でしたが、当時の私にはその選択肢はありませんでした。Rくん、Aさんとのルームシェアで食事、洗濯など最低限の生活力をつけた私はひとりで生活をするということに凄く憧れと、今の自分であればそれができるという自信があったからです。

 

 

物件探し
何はともあれ、まずは物件を探さなければなりません。短大時代に住んでいたPlattsburg市から移住先のBinghamton市はバスで乗り換えを含め10時間程かかります。とても気楽に行ける場所ではありません。とりあえず、ネットでBinghamton市の物件を調べて大家さんに電話で連絡してみると意外にもすぐに2人の大家さんが物件を案内してくれることになりました。そこで週末を使って現地へ行き、1人の大家さんにバス乗り場まで迎えにきてもらい両方の物件を確認することにしました。最初の物件は大通りには面していませんが、市の中心部まで歩いて10分、バスで5分ほどのところにあり、3階建ての3階、間取りは4LDKもあり、家賃が$370のところでした。正直ひとりで住むには広すぎるところを除けば素晴らしいところでした。
 2つ目の物件は、市の中心部からは離れていましたが街のメインストリート沿いで、近くにスーパーマーケットもあり、部屋は2LDKで家賃は$320とひとりで暮らす分にはこちらの方が良さそうでした。しかし、結局は最初の物件にすることになったのですが、その決めては2件目の大家の一言でした。

 

 

「たまに、合鍵使って部屋の様子見に来るけどいい?」

 

いや、ダメでしょ普通に!!

 

 

その言葉にそこはかとない恐怖を感じた私は、多少広くても安心できそうな大家さんの方がいいやと4LDKの広すぎる家に決めたのです。(結局こちらの大家さんも相当ぶっ飛んだ方だったのですが、それはまた別の機会に紹介します。)

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 こんな感じ

 

こうして、私は、2003年の1月から2005年の12月までのおよそ3年の間、この広すぎる家でのひとり暮らしを始めたのです。ここに、その生活の良かった点、悪かった点をまとめます。


すべてが自分次第
当たり前の話ですが、ひとり暮らしの最大のメリットは全てを自分の予定に合わせることができる点です。学校へ行く時間も、買い物も、洗濯も、食事も、就寝も他人に合わせる必要はありません。しかし、それも諸刃の剣で、誰にも気兼ねなくできる反面、自分のことは全て自分でやらねばなりません。なにかトラブルに巻き込まれても、誰も助けてくれません。シェアハウスをしていた頃は、食材の買い出しなど車を使うこともできましたが、自分の車を持っていないひとり暮らしではなんでもバスで買い出しに行かねばならずかなり不便でした。ただ、それは凄くフェアなこと(自分の力がなければその分しかできない)だと納得できていたので、不満はあまりありませんでした。

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 生活費がそれなりにかかる
全てをひとりでやらなければならないというのは、全ての費用をひとりで負担しなければならないということです。冬の寒さが厳しいニューヨークでは暖房光熱費は馬鹿になりません。これも引越ししてから気がついたのですが、私の住んでいた地域では、市内と市外では入札の関係から、光熱費、水道代が6倍くらい違うそうで、真冬には光熱費だけで$200/月くらい取られていました。食費も一人分ですと割高ですし、スケールメリットが活かせない分、全体の生活費はそれまでと比べかなり割高になりました。夏休み、冬休みなどを利用してバイトもしていましたが、資金的にはかなりカツカツでした。

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人間関係を構築しづらい
これは性格によるところが大きいとは思いますが、一人でなんでもできてしまうようになり、自分のペースができてくると、他人に合わせることが億劫になってきます。私はもともとあまり社交的ではありませんでしたので、このひとり暮らしを機に全く他人と交流しない日が続くようになってしまいました。(このことについても、後でじっくり話したいと思います。)

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まとめ
いろいろなメリット、デメリットがありますが、トータルで考えればこのひとり暮らしは私にとってかけがえのない時間でした。何ができて、何ができないのか、自分自身の限界が分かりましたし、生活をするためのお金の大切さ、何よりもそれを援助してくれている両親のありがたさが骨身に染みて分かりました。また、同じように生活できるかと言われればその自信はありませんが、大人になるいいきっかけをいただいたと考えると、それを支えてくれた人たちに感謝をせずにはいられません。もし、日本で同じような生活をしていたとしても、これほどいろいろなことは考えなかったのではないでしょうか。異国だからこそ自分と向き合うことができた。そういう時間を過ごすのも長い人生では有意義なことではないでしょうか。