留学カウンセラー金谷のブログ

普段留学したい人の相談にのっています。自分の留学の実体験や最新の留学事情を記事にしていきます。

私が英語が嫌いだったたったひとつの理由を語ろうと思う

こんにちは、金谷です。

 

今回は、そもそも私がアメリカに留学することになった経緯をお話したいと思います。一番最初の記事でもお伝えしましたが、私は留学するその日まで、

 

最も留学には向かない人間

 

でした。

 

それは、

 

英語が大ッ嫌い!!!!!

 

だったからです。

 

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その遍歴を紹介すると、

 


幼少期

我が家は、いわいる“教育熱心な家庭”で物心がついた頃から塾や水泳や合気道、スケートといろいろな習い事をさせてもらっていました。中には、あまりやりたくないものもあったのですが、当時の私は薦められるがままに、どんどん活動を増やしていました。しかし、唯一英語教室だけは頑なに拒み、1日の体験入学だけで挫折したのです。これが私の5歳のときの唯一の記憶です。

 

小学校時代

その後、小学校でローマ字を習った時も全く頭に入りませんでした。当時、北関東某県に住んでいた私は、中学受験を薦める母親の意見に従い、週3回新幹線で東京の塾に通っており地元では、神童(笑)扱いでした。そんな中、県で一斉テストなるものが行われたのですが、国語のローマ字のところだけ全問不正解で、ライバルだった生徒の親から「1点差で1位を取ってごめんなさいね。オホホ」という自慢話を延々と聞かされた母親が激怒しているのを横目に強烈な苦手意識をもったのでした。

 

中学時代

そして、苦労の甲斐あって中学受験を奇跡的に乗り切り、当時東大合格者数全国10位以内の有名私立進学校に進むことができたのですが、それが私と英語とのさらなる苦難の始まりでした。基本的に、私立の進学校は中学1年の時に1年と2年の内容を、その後は1年繰り越したカリキュラムを行い高校3年の時に、大学受験対策をみっちりやることでその実績を維持しています。他の教科はいざ知らず、強烈なコンプレックスを抱えた英語をこの速度で学習したことにより、私の英語嫌いは決定的になりました。テストは常に赤点、状況を改善しようといろいろ努力するが全く成果が上がりませんでした。そんなこんなでなんとこの進学校の高校に進学できないという落ちこぼれに成り下がったのです。

 

高校時代

その後、紆余曲折があり(長すぎるし、本編にはあまり関係ないので省略)なんとか某公立の高校に編入することができたのですが、不甲斐ない形に終わった中学生活を挽回するためには大学受験で一発逆転をするしかないと思っていました。そのため部活にも入らず(中学時代も遠距離通学のため部活には所属していませんでした)ひたすら学校と図書館、そして予備校を往復する日々だったのですが、英語は相変わらず芳しくありませんでした。そして結局、受験の配点にかなりのウエイトを占める英語の点数が響き、浪人するも大学受験に失敗してしまうのでした。

 

留学を決意

しかし、人一倍ツラの皮が厚い私は、最後の志望校の不合格が判明したあと、ショックを受けているだろうと気を遣う両親の前でご飯をおかわりし、「ちょっとは遠慮しろ!!!」と激怒され、怒り心頭に達した母親により、「英語を克服するために現地に行ってこい」、さらに経済学を学びたかったので、「ついでに世界経済の中心であるNYで経済を勉強したら一石二鳥だ」という非常にありがたい申し出をいただき、その時初めて自分が英語を話せたらどういう未来像があるのかを考えた結果、留学を決意したのです。

 

こうやってみると、英語がなぜ嫌いだったのかは明白ですね。

 

それは、

 

英語

 

を人とのコミニュケーションツールではなく、ただの受験の1科目としてしか見ていなかったからです。単語も文法もクイズ問題の延長線上では覚えるモチベーションは維持できません。

 

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もっと早く

 

英語

 

自分たちと全く違うバックグラウンドで暮らしてきた人たちとつながれるツール、そして自分の未来を変える武器

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なんだと気づいていたら、違う習得法があったと思います。

 

そして、「留学」は間違いなくその手段のひとつです。

 

今、留学に踏み出せないで迷っているアナタ

 

もう一度自分自身に問いかけてみてください。

 

もし、あなたが英語を通じてより多くの人とのコミニュケーションを求めているのであれば、あなたは必ず英語を使いこなせるようになるでしょう。